池田市Y君の事例
※すべての事例は当該家庭の許可を得て投稿しています。
※事例は現在進行形だけではありません。
※あくまで一例ですので同じケースとして真似をしないように(我が子は我が子です)してください。
現在は自閉症スペクトラムという言葉が流行していますが、スペクトラムとは連続体・分布範囲のことで医学・心理学的意味合いとしては傾向やグレーゾーンと訳すことができます。
要は自閉症とまでは言えないが、かなりグレーゾーン、それに近いんじゃないかなぁ?という状態。
分かりにくいですよねw
実はドクターによってもやや診断が異なったりします。
これについての細かい説明はまた別の記事でUPいたしますね。
池田市のY君は、この自閉症スペクトラムでした。
当時はDSM-5ではなく、DSM-4(いずれもアメリカ医学会のマニュアル)が最新だった時代。
彼はASD(アスペルガー症候群)と診断を受けていました。
大阪府の有名私学進学中学校に在籍。中学受験時の大手中学受験塾では全国トップ30に入るなどの実績を残していました。
中学進学後、間もなく登校渋りが始まります。
最初は定期テストで思ったような結果が出せなかったことがきっかけ。
多くのお子さんの事例で耳にしますが、もともと学力戦うことを教えられた受験戦争を経験してきたお子さんはテストに対して強いこだわりを持ちます。
ASDでいうところの同一性と呼ばれるものですね。
小学校のテスト(カラー刷りのもの)は業者テストと呼ばれ、平均点はおよそ80点になるように作られています。中学受験塾に通うお子さんなんかでいうと毎回満点を取る子も少なくありません。
日々の塾でも確認テスト、復習テストとテスト漬けなので慣れてくる訳ですね。
ところが、高校受験でも中学受験でも、合格後はある程度その入試を乗り越えたレベル帯の均一なお子さんが揃います。
また、中学校のテストは平均点がおよそ55-60点になるように作られていますから、小学校時代に80点を取っていた子は順当にいけば55点が良いとこになります。
一方で、子ども達はというと「塾でもテスト頑張っていたんだから自分に取れないわけはない」「親の期待に応えたい」と全力で120%の力で臨むわけですね。
こういったお子さんの特色として、ゼロか100の考え(二極思考)に陥りやすいというものがあります。
このお子さんの場合、「テストで良い点を取る」→「取らなければならない」→「取れなければ自分はダメ」という発想になってしまいました。
このご家庭は、お父様は有名会社勤務、お母様は元公務員、お兄様は関西有数の進学校という背景がありましたから本人も知らず知らずのうちにプレッシャーを感じていたのでしょう。
加えて、中学校では他の子ども達と馬が合わず、土日も小学校時代のお友達と遊ぶことのほうが多かったといいます。
同様の愁訴があるお子さんの多くでは、やや年上ややや年下とは上手に交流できるが同い年とのやりとりが苦手というケースも多くあります。
新しい環境での信頼関係が構築できていない状態で、今まで自信があったテストで点数が取れないというストレスに包まれた環境。
日々の中で、少しずつセルフエスティーム(自己肯定感)が低下していったのでしょう。
中1の夏休み前から少しずつリズムを崩し、長期休暇を挟んだことで2学期からピタッと動きが止まってしまいました。
その後、私のもとに相談が入り5年半に渡りサポートをさせていただきました。
最初は家庭訪問さえ嫌がっていたので、保護者の方と喫茶店で保護者カウンセリングを実施。
地域を回っている専門家として、急に来たフリで家庭訪問をしました。
ドア越しの声かけ、ドアの下からメモをやりとりしての筆談、ゲームを介してのV字型のコミュニケーション。3ヶ月ほど経った頃にやっと対面で会ってI字型のコミュニケーションが取れるようになりました。
そこから少しずつ、受け容れ、共感して、褒めることを繰り返して自信を取り戻してもらいました。
長いお付き合いだったので、途中からは登校復帰もできて一般的な家庭教師の役割となりましたが、ガンプラ(ガンダムのプラモデル)が大好きで関西の有名私立大学・工学部に進学、大学院まで卒業し現在では公立大学・工学部で講師をしています。
あくまで一例ですが、不登校はずっと続きません。
適切な関わりをすれば、将来はきっと大丈夫。
なかなかに長い旅路ですが、どん詰まりではありません。
希望を持って、この記事も参考にしてみてください。
最後に、昨日見かけたこんな光景をUP。
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